金沢 なるべく吸える喫茶店

吸えたら良いけれど吸えない時もあるから飲めたら満足です

五木寛之の愛した金沢の喫茶店 <三選>

五木寛之は、金沢とゆかりの深い作家。

今回、ご紹介する書籍は、

五木寛之の新金沢小景』 2005年 テレビ金沢北國新聞社

「しばらく金沢に住んだあとも、くり返しくり返し金沢を訪れ、金沢の人とつきあい、金沢を舞台にいくつもの作品を書いた。

(中略)

この『新金沢小景』は、そんな金沢に魅せられた日々のあいだから生まれたヴィジュアルな現代風土記である

(中略)

金沢の懐は、深く、温かい。これからも金沢の魅力について、ずっと語り続けていきたいと思う。

 

五木寛之がホストを務め、2003年4月から2年間にわたって放送された同名のテレビ番組の書籍化。

本書内で、五木氏が喫茶店の名を三店挙げているので、以下にご紹介したい。

 

 

ぼたん

ミルクセーキの頃』
と題された項では、「ぼたん」が紹介されている。

 

繁華街・片町のスクランブル交差点から歩を進めると、ほどなくして純喫茶「ぼたん」の看板に出合う。街中の喧騒にあって、その喫茶店は、時が止まっているかのように静かに佇んでいる。

 

「ぼたん」は、戦後まもない昭和21年(1946)に開店した。テーブルが五つしかない小さな店内は、いつも学生たちであふれ返っていた。コーヒーの香りが立ち込め、クラシックやジャズ、シャンソンがかかる店内では、四高生らが熱く議論を繰り広げ、活気のある文化サロンだった。

 

そんな中で人気があったのは、ミルクセーキ
学生たちは、西洋の味に憧れを抱きながら、社交の場、くつろぎの場としての「ぼたん」を心の拠りどころとしていた。

 

ふるさとを遠く離れて金沢で暮らす学生にとっては、「ぼたん」はもうひとつのふるさとのような場所。台所でご飯を炊いて手伝いをする若者や、ガラスが汚れているからと、そうじをはじめる学生もいたという。当時「ぼたん」に集った人たちが同窓会を作って出した文集もあり、その中には「学生を大切にする金沢の風土そのままだった」との一文が、懐かしさを込めてつづられている。

 

かつて通った喫茶店が、昔の面影そのままに同じ場所にあるというのは、奇跡に近いことなのかもしれない。しかし、そんなことをよそに、店内には音楽と、コーヒーのかおりと、話し声にあふれ、買い物客や観光客に交じって、学生時代を懐かしむ人も時折訪れる。憧れのままのミルクセーキの味を思い出しながら。

 

2006年に「ぼたん」は閉店。
「ぼたん」があった場所の現在の様子は以下で。

kanazawa-drifter.net

 

芝生

柿木畠にある昭和7年(1932)開業の老舗。

旧制四高の校舎に近く、四高生が軽食をほおばり、コーヒーを飲みながら語り合った。

 

名物は特製ソースがかかったカツ丼で、金沢ではめずらしい一品。変わりゆく柿木畠の中心にあって、腰を落ち着けて語らう人々を見つめ続けてきた。

その中には、若き日の五木さん夫妻の姿もあった。
ふたりの初デートの場所が、ここ「芝生」だったのである。

 

「芝生」は閉店してしまったが、その姿は当時をとどめている。
現在の「芝生」の姿は以下で。

kanazawa-drifter.net

 

ローレンス

五木さんが金沢で小説を書いていた頃はまだ新しい店だった。
三階建てのビルの最上階にあり、コーヒーなどのドリンクを頼むと、ゆで卵やお菓子がおまけについてくる。

 

五木さんは、ローレンスに足繁く通って小説を書いた。
昭和42年(1967)2月の第五十六回直木賞受賞の知らせを受けたのも受賞作を執筆したこの店であり、当時のダイヤル式の黒電話が今も頑なに残されている。
受賞を祝ったシャンパンのコルク栓も長い間カーテンの上にひっかかったままだったとか。

 

受賞の瞬間から四十年近くを経た店内は、タバコの煙で変色した壁や椅子のきしみ具合が時の流れを感じさせ。ノスタルジックな雰囲気が漂う。下ろした腰が古いソファーに妙になじむような、時空を超えた安らぎを感じさせる不思議な空間である。

 

五木寛之がかつて訪れた金沢の喫茶店三選のうち、現在も営業を続けているのは「ローレンス」だけ。

ここ数年は営業時間を短くして営業しており、五木氏の直木賞受賞についても、マダムの口から聞くことができる。

「そこが、五木さんの指定席よ」

 

現在は、2時間のみの営業だが、毎日おられるようである。