1996年/台湾/中国語・閩南語・中国語・仏語/120分
あらすじ
多彩な国籍の人間が割拠する90年代半ばの台北。レッドフィッシュをリーダー格とする4人組はお金も自由も愛も、思うがままに手に入ると信じている。ホンコンは女性をもてあそび、トゥースペイストはニセ占い師として稼ぐ日々。ある日、フランスからマルトという女性が台北にやってくる。新入りのルンルンはひそかにマルトに心を寄せ、彼らの関係が変化し始める。決して後戻りのできないところまで―。
エドワード・ヤンの<新台北3部作>の第2作にあたる『カップルズ』は、前作『エドワード・ヤンの恋愛時代』と同様に90年代の台北を舞台にしているが、コメディタッチの前作と異なり、本作では喜劇と悲劇が表裏一体となっている。現代社会において欲望を追い求めることに夢中となった先にある、悲劇と希望を描き出す本作は、約30年前の製作ながら、ますます現代性を帯びてきている。
出典:映画『カップルズ 』4Kレストア版 公式サイト
煙草シーン
本作は、1996年の台北でシノいでいる若者4人を中心に描かれるが、新入りでおぼこいルンルンを除く3人は喫煙する
また、愛憎を交差させる登場人物たち、イギリス人建築家、建築家を追ってきた若いフランス人、若者の母親、若者の父親を探すヤクザたちも吸う
時代を反映して、多くの喫煙シーンが見られる
煙草シーンの役割
4人の若者たちのうち、台北に迷いこんだフランス人女性(マルト)にプラトニックな恋をするルンルンだけはタバコを吸わない
彼に喫煙させないことで、聖性をまとわせる効果を生んでいる
ベスト煙草シーン
4人のなかでモテを利用し、男娼的なシノギに身をやつすホンコン
ベッドを共にした後の女性と会話しながら喫煙するシーンが多い
女性をコントロールし優位な立場で喫煙する場面と異なり、年嵩の女性たちに囲まれ、若いツバメ役を求められ、嘆き泣きながらタバコを吸うシーン
喫煙に仮託された感情が、その都度変化する、ホンコンの喫煙シーンを挙げたい
感想
本作の原題が『麻雀』で、4人の若者が主人公で、その面子が抜けたり、ゲーム内での役割が入れ替わったり、「マージャン」というゲームになぞらえた人生模様、青春の断片を描いていることは語られ尽くしていると思うので割愛。
本作内で、イギリス人建築家が彼を追ってきたフランス人女性マルトに対して、
「今の時代、電話も手紙もファックスだってある」
と、マルトな向こうみずな行動をなじる。1996年のこと。
それから、30年を経て、今の時代にはより迅速で正確な連絡手段はあるが、恋におちる者の焦燥や嫉妬の淵源はまったく変わらない。
ハードロックカフェやTGIフライデーズを登場させ、イギリス人建築家に「これから台北は世界一の街になる」と語らせるイケイケの頃の台北を記録しながら、グズグズな若者、どうしょうもない若者たちの、不変で普遍の刹那を見せてくれる。
「キスは不吉」と前フリしまくって、行き過ぎた行いの果てに拳銃が使われたり、ラストを美しいベーゼで締めたりするのが出来過ぎていて、物語に屈服してしまっている気もする。
そんな落語みたいなオチがなくて、ダラダラと終わってしまってよい映画だとは思った。
映画『卒業』でベンジャミンがエレーンを奪い去ったのち、バスに揺られながら笑顔が失せ、不安の色がふたりの表情を曇らせるように、ルンルンとマルトが交わしたキスが台北の街の喧騒にかき消されてゆくのは、この恋の先行きの不安定さを示しているのだろうか。
1967年でも1996年でも2025年でも、若さの暴発は達観した振りをして生きている大人から見れば愚か。その愚かさを発揮せずに老いてしまった側からの視点を介入させた着地点から「若いってバカだよな」と語らせるだけの分別ある映画であるし、「お前らに分かるかよ」と突っぱねている映画でもある。両義的である、良い映画。
ルンルンがいっときマルトを匿っている部屋にあるライトが、よくアメリカの公共図書館に置かれているデスクライトで「洒落てんなぁ」と思ったが、お洒落方向に大きく振らないところが、らしいとこ。
JEUNEU Green Glass Bankersデスクランプ、プルチェーンスイッチ付きオフィステーブルランプ、プラグイン照明器具、ブロンズ仕上げベースライト、寝室の図書館の職場など
4人組の一人であるレッドフィッシュのYシャツとスラックスの着こなしだが、ベルト位置が高すぎで、90年代の哀川翔みたくなっており、時代のシンクロ感あり。
エドワード・ヤンは、90年代の日本のVシネを観ていたのかも知れない。