金沢 なるべく吸える喫茶店

吸えたら良いけれど吸えない時もあるから飲めたら満足です

珈琲 ヒッコリー「私しか作られんからね」

喉の渇きを癒したいとき、足の疲労が臨海に達したとき、しのつく雨をしのぎたいとき、買ったばかりの文庫本を開きたいとき、そして、紫煙をくゆらすひと時を過ごしたいとき。 路傍に佇む喫茶店の門をくぐる。 なるべくならば、煙草の似合う、そんな店がいい。


<本日のサ店>

ヒッコリー

外観

内装
メニュー
トイレ

きな粉ミルクカフェ ¥600

ここより下は、当ブログ執筆者の身辺雑記をふんだんに含んだ、取るに足らないとしか言いようのない雑文雑記ですので、お店の基本データのみを知りたい方は、上記目次より各項目をクリックし、あなたが必要とする情報を摂取したのち、早々に離脱することをお勧めします。バイバイ!



3月に入って、ようやく街中では雪が溶けきった。

商業施設らの駐車場の片隅では、除雪で溜められていた雪の名残りを見つけることはできる。「なごり雪」というのは、春になっても残っている雪、あるいは春になって降る雪を指すようだが、今年の金沢は3月にも雪が降った。
この後は、おそらくあっという間に夏を迎えるのだろう。


暖かくなれば、もとい暑さを感じるようになれば、喫茶店に入ってもホットドリンクをドリンキングしている場合じゃあなくなるので、ここふたつきほどが、熱い珈琲を飲むラストチャンスになるだろう。

福岡での学生時代に、造園関係の仕事をしていた頃、年配の職人たちは、休憩時真夏でもチンチンに熱いお茶をしばいていた。「冷たい飲みもんは、腹を冷やすから、夏こそあっつ〜いお茶飲むんで。あんさんも、もっと歳食えばわかるようになる」と、ミックスジュースをがぶ飲みする私に警句を投げかけてくれたのだが、いい年こいてもまだその域に達していない
とりあえず、今日はまだ熱いものを喫茶店で頂こう。

 

金沢の中心部、柿木畠に流れる鞍月用水にかかる小さな橋を渡ると、「珈琲 ヒッコリー」はある。

 

少し奥まった位置にある扉を開けると、カウンターでくつろいでいた田英夫似の笑顔が柔らかなマスターが迎えてくれる。
奥に広がるつくりで、左にカウンター、右にテーブル席。

「一人ですが、テーブルでもいいですか?」

「どうぞ、どこでも掛けてください」


メニューに、
「太洋軒の焼き飯(復活した懐かしい昭和の味)」
とある。

現在、クラソプレイス香林坊(旧 香林坊東急スクエア)のある場所に、40年前大流行の洋食店『太洋軒』があった。

「もうお客がどんどん来るから、大将の顔見たことないほど。ずっーと、調理してるから」

 

 

店を閉めてからは、息子さんが北陸学院大学の学食で同メニューを作り、評判も良かったが、体力の限界で提供をやめる。

『太洋軒』の常連でもあったマスターは、あるパーティーでたまたま息子さんと会い、意を決して「不躾ですけど、作り方を教えてくれませんか」と打診。息子さんは、「分かった。でも絶対にレシピは変えないで」との条件で、一子相伝の秘伝レシピを教わることに。

「一度店に来てもらって、材料全て用意して、『やってみ』って。緊張したけれど、合格もらいました」


おー、それはいいですねー。
って言ったんですけど、このあと、飯食う予定があったので今回は辞去。
茶店を巡るたびに、宿題が増えていく。
実際に、レシピには一切手を加えず、マダムが店に立つ時は提供できない。まさに秘伝を受け継いだマスターなのだ。

「私しか作られんからね」


さらに、「珈琲ゼリー」も名物。

「寒い時期は、豆寒天出してたんだけど、今は珈琲ゼリー出せますよ」

おー、それもいいですねー。
って言ったんですけど、このあと、飯食う予定があったので今回は辞去。
こうやって、あちこちで宿題増やしていって、お前ホントにこなせるんだろうな。オイ。

 

結局、きな粉ミルクカフェをお願いする。
きな粉ミルクカフェ分のカロリー接種する気合いなら、珈琲ゼリーは行けたんじゃないか、という気がするが、今日はあったかいもんでお願いします。

「黒糖入れてもいいけ?」

「お願いします」


「ちなみに、アレですよね。こちら禁煙ですよね?」

「昔は、喫煙可でした。私も60過ぎても吸ってたから、本当は喫煙にしたかったけど、女房はたばこ嫌いだし。なにより、受動喫煙の問題で20才以上じゃないと入れなくなるんです。家族でも来て欲しいからね」

もっともな理由にグウの音も出ません。
つまり、ヒッコリーは

吸っちゃダメ


「まだ、吸っておられる?」

「そうなんです。まだ吸っちゃってますね」

「大丈夫。私も65まで吸っとったから (笑)」



マスターは現在72才。

もともと、この場所でお父様がクリーニング店を開業。
当初はマスターも同業種で店を継ぐが、5.6年後に喫茶店へ業態を変更。

「金沢大学が城内にあった頃は、学生がいっぱい来てくれてね。今は、もうみんな偉くなって金沢に居ない人ばかりだから。噂話で『あいつは今重役だ!』とか聞くと嬉しいね」

 

金沢大学は、1995年まで金沢城公園に丸の内キャンパスを設置。
天守は失われている金沢城址だが、城の中に学び舎があるというのは、かなり稀有なケースだろうし、「売り」としては抜群だったと思うのだが、なぜか移転した。
学生のいない街。
が、活気を失っていくのは自明。つまんねー選択したな、金沢。

1988年に「珈琲 ヒッコリー」開店。
大学移転によって人の流れは変わったが、その後もヒッコリーは生き続けている。あの頃足繁く通っていた重役さんたち!焼き飯食いに来いよな。よお、重役。

 

「昔はね、日曜だけ休んでいたんやけど。今は月曜も休ませてもらって。一回怠けるとイカンね」

「結構、月曜休みの喫茶店多いですよね。やっぱ週頭は人少ないですか?」

「こういう商売は本当、水商売。いつお客さん来るか分からん。雨やから、雪やから、でもドッと来たりね。そう思えば、今日みたいに晴れてても、今日はお客さんあなた一人だし。長くやっててもまったくわからないですよ」


この柿木畠には、かつて「うつのみや」という大型書店ビルがあり、高校生の頃は私もよく通っていた。その跡地には、金沢初の億ションが建ち、その向かいには建物だけが残る喫茶店「芝生」があった。

「ヒッコリー」のマスターには、「芝生」の話も聞いたのだった。

kanazawa-drifter.net

金沢初の億ションとされるマンション


私も老眼ズと相成り、すっかり読書が億劫になりつつあるのだが、人生のパイセンであるマスターはどうだろうか。

「うつのみや(柿木畠からクラソプレイス地下に移転したが、ヒッコリーからは徒歩数分)近いじゃないですか」

「なんだか、地下に行くのが億劫で。もう本は読む量減ったね。今はネット、動画は見ないけど、ニュースはネットで見ます。身体が動かなくなったら、また本に戻ろうかなぁ」

 

私の父親も、かなりの読書量を誇っていたが、晩年はすっかりテレビ漬けの生活であった。読書という能動的な行為には体力も決意も伴う。
って、ヒッコリーのマスターが老いてる、とか言うつもりないです。
途中戻ってこられたパートナーと共に快活に話しておられる姿を見るにつけ、これからも当分ヒッコリーを続けていかれるだろう。太洋軒の焼き飯レシピの防人の大役もあるし。


会計を済ませて店を出やんとしていると、

「たばこ吸われるんなら、いい店ありますよ」

と、店先まで出て『狼騎』 を紹介してくれた。

「同級生がやっとるんです。行ってあげてください」


「この前行きましてん」と言えずじまいで、見送っていただく。
すみません、行ったことありました。
こんなブログでも、やっているといろいろ繋がってくるものだ。

kanazawa-drifter.net

 

今度は、太洋軒の焼き飯と珈琲ゼリーだな。
腹減らして来よ。
絶対です。


google MAP

所在地

金沢市片町1ー1ー11

営業時間

11:00~19:00

定休日

日 月

席数

カウンター x 6
大テーブル x 2

電源

なし

Wi-Fi

なし

SNS

なし

店内BGM

なし

トイレ

洋式(ウォシュレット)

喫煙の可否

吸っちゃダメ