金沢 なるべく吸える喫茶店

吸えたら良いけれど吸えない時もあるから飲めたら満足です

フレンド「人生いろいろある」

喉の渇きを癒したいとき、足の疲労が臨海に達したとき、しのつく雨をしのぎたいとき、買ったばかりの文庫本を開きたいとき、そして、紫煙をくゆらすひと時を過ごしたいとき。 路傍に佇む喫茶店の門をくぐる。 なるべくならば、煙草の似合う、そんな店がいい。

 

<本日のサ店>

フレンド

外観

内装

コーヒー ¥300

ここより下は、当ブログ執筆者の身辺雑記をふんだんに含んだ、取るに足らないとしか言いようのない雑文雑記ですので、お店の基本データのみを知りたい方は、上記目次より各項目をクリックし、あなたが必要とする情報を摂取したのち、早々に離脱することをお勧めします。バイバイ!

 

桜鑑賞の最盛期となった。
この季節になると、「ああ、これも桜だったのか」と、草木類に明るくない私などは驚かされる。

街中に出て、あらゆる地点、あらゆる機会をスマホのカメラに収めるという行為が一般的になっており、その撮影者は老若男女に及ぶ。

シャッターを切るという行為が、レコード盤に針を落とすような、ある種神聖さを伴っていたのは遠い昔。撮るのも、それを残すのも、コストが掛からなくなった。手軽になるということは、金が掛からなくなることと同義。

かつては、カメラのファインダーを覗きながら「決定的瞬間」を狙いシャッターチャンスを待った。
が、現在はスマホ画面にリアルタイムで映される被写体を追っかけ、「決定的瞬間」を作る。ビデオ画面をキャプチャする感覚で撮影する。
写真と動画の境目は曖昧になり、動画を切り取れば、写真になる、ようになった。

昔はよかった
と言いたい訳ではない。
量が質を産むことは間違いのない事実。ホンモノを見つける手間は増えたが、素晴らしいモノが産まれる条件はある。今の方がずっと良い。

 

桜を撮影する人々は、それこそ老若男女にわたる。
ご老人方も桜にカメラを向けている。
すると、やっぱり未だガラケーの人が多いことに気付かされたりして興味深い。
スマホにしろ言わんやガラケーなどのカメラには十分な広角レンズが搭載されていないケースが多々あるので、路傍の桜を撮ろうとして、必要以上に後退りせねばならず、後方不確認で、車輌や通行人と接触する事態に至る、あるいは至りそうな局面を見かけたりする。
ので、気を付けていただきたい、です。

お母さん!うしろ後ろ!

 

広小路交差点を平和町方向へ進むと、すぐ左手に「フレンド」はあらわれる。

店先には控え目な電飾看板のみ。
むしろ、選挙立候補予定者のポスターの方が目立っており、すわ選挙事務所の感がある。店頭照明は灯っているが、店内からの光はこぼれておらず、営業中かどうか、の確信が持てない。

確信持てなきゃ、扉を叩いて確認するしかない。

 

意を決して、入店してみると、「営業中」の札が店内にかかっている。
開けたら分かった。よしよし、入ろう。
目隠しのような壁を右に進むと、カウンター奥で座っていたマダムと目が合った。

 

「こんにちは。いいですか」
「はい。お客さん?どうぞ」

 

4月の頭らしからぬ、午後になっても10℃を下回る陽気であったためか、マダムは店内でもコートを羽織っている。

 

「コーヒーしかできないよ」

「他には、何かありますか?」

「今、コーヒーしかできないって言ったでしょ。それでもいい?」

「すみません。それで、お願いします」

 

いきなり怒られてしまったが、確かに「コーヒーのみ」と宣言されたそばから、「他にないんかい」と問うのは私が愚かすぎる。

カウンターに入って、コーヒーを淹れてくれているマダムに煙草確認。

 

「タバコは吸っていいですか?」

「もちろん。そこ、灰皿使ってください」

「これ、カエル?どかしてもいいですかね?」

「どかしてどかして」

カエルのお手玉的なマスコットを横に置き、重ねてあった灰皿をひとつ手元に引き寄せると、底面にハンバーガーの画像。
朝マックっぽさもあるが、よく見るとそうでもない。謎バーガー。


灰皿の底に謎バーガーがあってもいいじゃないか、ということで「フレンド」は

喫煙可

 

かなり大ぶりのカップになみなみと注がれたコーヒーが到着。

 

「砂糖は売るほどあるから、たくさん入れな」

 

 

「ちなみに、前の看板に生ジュースってあったんですけど、もうないですか?」

「ああ、もう随分昔。果物に薬塗ったりしてるでしょ?だから、やめたの」

「なるほど。だから、コーヒーだけですね」

「そう、コーヒーだけ。さっきも言った通り」

 

 

あえて、地雷をもう一度踏みに行くことで、インティマシーを獲得しようとする作戦をなんとなく成功裏に終えられたので、会話続行。

 

「こちらは何年くらいですか?」

「ん?もう長いね」

「マダムはおいくつですか?」

「そら、あんた。そんなこと聞いてたら駄目よ。あんたがきっと孫くらいやわね」

「私50ですよ」

「あら、そう?そしたら、息子かね」

 

どうやら、マダムが30半ばに「フレンド」を開かれたそう。
おいくつくらいだろうか、50年ほどのキャリアはありそうにお見受けする。

 

「もう、年とったから。転げてばっかりや。その椿切る時も、バタンって倒れてまって」

 

と、カウンターの立派な椿の花を指して続ける。

 

「でも、なんともない。頭打たなければ、死ぬことない。そうでしょ?」

「でも、危なかったですね」

「こないだも雪で滑ってね、道で横になってたら、歩いてきた人?助け起こしてくれて、そんなこともある。まあ、色んなことある。死ななきゃいいよ」

 

マダムの居宅は、「フレンド」から少し距離があるらしく、今年のように積雪が多いと通いが大変だという。

ひとつ問えば、10返ってくる感じで、体のバランス感覚は失いつつあっても、口ぶりは意気軒昂。
失明の危機を乗り切ったこと、少女時代振った相手が医者になったこと、株で大損したこと……、ブラーブラーブラー。淀みなく話は続く…

そんなマダムはスマホもケータイも持たないそうで、

 

「さすがに不便じゃないですか?」

「いらない。家の電話もまだ黒電話」

「それは骨董品ですね」

「だから、ほら、最近電話口で『何番押してください!』とか言うけど、ダイヤルだから無理。オレオレ詐欺とか引っかかりようもない。スマホ持ったら便利だろうけど、持ってなければ心配もない」

「そりゃそうですね」

「持たないのが一番。だから、持たないの」

 

「フレンド」のマダムは、桜にスマホを向けることなど、ついぞないのである。

 

「人生いろいろある」

多彩なエピソードトークの息継ぎには、必ず「人生いろいろ」が挟まれる。


なかでも、マダムが善光寺を訪れた際の、神秘体験は聞き応えがあった。

 

「…境内で写真屋さんに写真撮ってもらってね、その仕上がりを待つ間に、『お寺の下行ってごらん』って言われて、行ってみたら、真っ暗!壁を伝いながら奥に進んだら、鍵を見つけて。その奥に御本尊がある、その扉の鍵」

「ほーうほう」

「何かお祈りしなきゃ!と思って、口をついたのが『私に関わるすべての人が幸せになりますように!!』 それが自然に出てきた。もう私は一切欲はないから。みんなのこと、それが出てきた」

「はーはあ」

「だから、今日あんたとも出会ったから」

「なるほど、私も幸せになるんですね」

「きっとなるよ」

 

途中、「暗闇を進んだら、バーッと鍵があって、サーっと触って、何祈ろうかなぁ何祈ったらいいのかなぁ」のあたりは、さながら稲川淳二の手練れの怪談を思わせた。

店内の民芸品や色紙は、道ばたで会う人がくれるらしい

かつてはカラオケもやっており、「歌いたかったらどうぞ!」今でも現役だそう

最近はホットプレート調理に凝っているらしい「なんでも出来るよ」


もっとも強烈だった話は、


「色んな人来たけど。色んな相談もされたわね。ある時、借金背負って、死にたいって。『なら、死んだら』って答えたら、本当に翌日の新聞にね…… 色んなことある」

 

そんなことがあったから、善光寺の暗闇では『私に関わるすべての人が幸せになりますように』との祈りが口をついたのだろうか。

 

「やっぱり人と話すのが一番や。話さんと、しょうもない」

 


ちなみに、入店前気になった立候補予定者ポスターは、頼まれまくって貼り出したら、「意外といいこと言う。若いのに偉い!」
という気分になって、応援していると言う。

「人生いろいろある。まさか、自民党以外を応援するとわね(笑)」

たっぷりとお邪魔させていただき、席を立つ。

「これ、お母さんにお土産持っていき!」

 

と、「マンナ」をいただく。


「また近くに寄ったら顔見せてね。ありがとう」

 

こちらがご馳走様と告げる前に、マダムの方から感謝の言葉をいただいてしまった。
恐縮です。

「人生いろいろある」また、「フレンド」に来る、それも人生。
いつまでもお元気で!

google MAP

所在地

金沢市野町1ー1−27

営業時間

10:00〜16:00

定休日

席数

カウンター x 5
テーブル x 1

電源

なし

Wi-Fi

なし

SNS

なし

店内BGM

なし

トイレ

未確認

喫煙の可否

喫煙可