以前、「ホームロード」から「そら豆」へと屋号を変遷させた「もう無い喫茶店」跡地を訪ねた。
その裏手、にまたもう一つ「もう無い喫茶店」があった。
「裏」と言ってしまうのは、たまたま私の発見順の後先の都合であり、コッチから見つけていれば、アッチが「裏」になる。
恣意的に表裏を定めて、一方を明面、他方を暗面とするような書き口は誤解を生むと、長く「裏日本」と蔑称されてきた石川県に住む人間としては思うのであった。
同時に、「裏」とか「黒」のようにネガティブな要素と結び付けられがちな単語には、窮状や逆境を所与として、それを撥ねつけることを宿命づけられた故の強さも持っている。
という訳で、既にして何を書いているのか判然としなくなってきたところで、つまりは「もう無い喫茶店」が隣接していたという話。


集合住宅の一階部に「カフェテラス うっど」はあったようだ。
内部を覗かせてもらうと、テーブル席やカウンターは健在で、営業されているようにも見えた。
店内のテーブルには灰皿らしきモノも見え、電話ボックスもある。
「うっど」は吸える店なのだ。
しかし、窓際の観葉植物は枯れ果て、店舗としての機能は失しているようにも見える。


googleストリートビューで同地を眺めると、2023年6月には元気に営業されているようにお見かけする。
2年後の現在、何が変化してるかといえば、
モーニングや日替ランチと記された立て看板と、軒先の電飾看板、店の周囲を彩っていた鉢植えたちが姿を消していること。

ただ、この時点では「閉店済」との即断を保留し、数日後の夜半、再び「うっど」の前を通ると、



廃材収集を目的としたと思しきコンテナが店先に置かれていた。
どうやら、店舗内の解体整理が始まっているようである。
保留していた判断は、今般更新され、「もう無い喫茶店」とするしかない。
裏や表の話に絡めて言えば、街をそぞろ歩き、見かけた喫茶店が「もう、やっていない」となると、なんだか裏切られたような気分になる。
しかし、その前に。
店主が閉店を決める前に、「うっど」を見つけられなかった私は、「うっど」を裏切っているのである。
どんなに恨み言をほざいても、うらめしがっても、
「うっど」はもう無い。


