金沢 なるべく吸える喫茶店

吸えたら良いけれど吸えない時もあるから飲めたら満足です

もう無い喫茶店「やすらぎ喫茶 話唄」

正直言って、酒が好きなわけではないので、「スナック」とカテゴライズされるような店には数えるほどしか足を運んだことがない。

「スナック」の他には、「カラオケ喫茶」と分類される店舗もある。
スナックにもカラオケはあるだろうから、「カラオケスナック」と「カラオケ喫茶」にいかほどの違いがあるのか分からない。
ならば、入ってみるがいい。
入店し、利用し、確かめてみるしかない。

 

当方は、「なるべく吸える喫茶店」という看板でやらしてもろてますんで、「スナック」はとりあえず回避して、「喫茶」と銘打たれている店舗は狙っていくべきだ。
何より、「スナック」だと主力商品がアルコールだろうから、単価が高くなってしまう。
私は貧乏。紛れもなく貧乏真っ只中であるので、「喫茶」を狙っていかねばならない。

「純喫茶」至上主義ではないし、猥雑に多様なメニューが、それはアルコールを含めて、提供してくれる店に、より魅力を感じる。
しかし、幾つになっても新しい扉は次々と現れるものである。
その扉は、開ける気がなければ生涯開けることのない扉である。


とした考えを携えて金沢市内を徘徊していると、
すわスナックか?
どれ喫茶店か?
これなんの店?
な、店構えを発見。


蔦が絡まるのはチャペルと、相場が決まっている。
でなくとも、蔦が絡まるようなお店は魅力的だと相場が決まっている。
ならば、こちらも魅力的なはず。

正確には、店舗の壁を蔦が這い上がっているのではなく、植栽が天を目指して枝を伸ばしているようである。
ドラえもんの秘密道具に「コエカタマリン」があるが、こちらは「クサカタマリン」といって良いだろう。

 

クサカタマリンの奥。
その看板には、


話・歌・軽食 やすらぎ喫茶 話唄(わか)

 

と書かれている。

「カラオケ喫茶」という自分にとって未知の領域の扉を開けようと思っていたら、

 

やすらぎ喫茶

 

なる、もう一段ハイブラウなカテゴリーが登場。
センテンスを重視すれば、

軽食でもって、客にやすらぎを提供する場所。
ということだろう。

縦書きのサインには、

 

笑える 歌える 喫茶室

 

とあり、まさしく今、私が入るべき場所である。

しかし、ご想像に難くない。
ドアノブを掴んで押しても引いても、その扉をくぐることはあたわなかった。

 


店名は、「話」に「唄」で「わか」
とルビが振られている。

「わか」なる店名で思い出されるのは、「Chanko Dining 若」であり、私も新宿店に一度入ったことがある。「Chanko Dining 若」は、いっときタピオカ屋か鳥から屋も何するものぞの勢いで出店攻勢をかけていた時期があり、金沢駅前のフォーラスにも出店していたと記憶するが、あっという間に撤退したはずだ。

Chanko Dining 若」新宿店の様子も味もほとんど覚えていないが、「やすらぎ」とはほど遠い雰囲気だった気がする。

 

こちらの「やすらぎ喫茶 話唄」がどのような雰囲気だったのかは、知る由もない。
が、この押し出しの強い看板と惹句には、心惹かれるものがある。
本当なら、「Chanko Dining 若」の方が「押し出し」にふさわしいのだけれど。

 

間違ってることも多いgoogle先生によると、「話唄」は閉店済であるようだ。
出来うるならば、私の「カラオケ喫茶」初体験を「話唄」で過ごしたかったのだが、それは叶わないようである。

絶やされていない店先の花々や、どこまでも空高く伸びていかんとするクサカタマリンの存在は、今も近隣住民のちょっとした安らぎに貢献しているかも知れない。

「やすらぎ喫茶 話唄」は、もう無い。