ちょっと前までは、10円玉でも落ちてないだろうか?と、俯きながら歩いていたものだが、最近は埃の被った、もう無い喫茶店の遺構物件を見つけるために、前を向いて歩くようになった。
前向きになっている。
私の人生への向き合い方が前向きになっている。
これは、喫茶店ブログ効果であろう。
前向きに、閉店済の喫茶店を探すというアンビバレントな営為である。
人間の営為は、ときに矛盾を抱えてしまうものである。
今回、通りすがりに見つけた喫茶店は、「麗」
麗は「うらら」と読むようだ。
浅学な私になぜこの感じが読めたのかというと、
看板にしっかり読み仮名が綴られていたからである。
親切。
ウララ
と聞くと、『キン肉マン』のジェロニモの必殺技「アパッチの雄叫び」しか思いつかない。
ジャンプつながりで言えば、『こち亀』のマドンナの名は、秋本・カトリーヌ・麗子であった。
こちらの、もう無い喫茶店「麗」にも見目麗しいマダムが居たのだろうか。
優しく微笑むマダムの隣には、寡黙で豆の研究を怠らないマスターが居たのかも知れない。
一階部が店舗で、二階部に住まわれていたのだろうか。
二階も磨りガラス越しに見る限り、居住の気配はない。
店内を見遣っても、カーテンが引かれており、その様子は伺えない。
唯一、店先のショーケースに残された手挽きコーヒーミルが往時を偲ばせる。
看板に書かれたUCCの文字と、すっからかんのショーケースにポツンと残されたこのコーヒーミルだけが、この場所がかつて喫茶店であったことを想わせる。
googleストリートビュー2015年5月まで遡ると、営業しているらしい「麗」の姿が認められる。
「麗」のある場所は、金沢市のオフィス街である尾張町 大手町付近。
近隣の会社員たちの憩いの場であったろうことが想像できる。
うわものが未だ取り壊されていないことには、種々の事情があるのだろうが、あえて、おそらくあえて残されている看板とコーヒーミルが、この場所の来し方を伝えてくれている。
年々薄まっているであろう「麗」と刻まれた看板の朱。
喫茶店「麗」は、もう無い。
前を向いて歩いて、喫茶店であったろう建物を見つけた時には、いくらかテンションが上がる。
しかし、近づいて外観を眺め、窓ガラスを覗きこんで、止まってしまっている時間の残骸を見るにつけ、寂しくなる。
テンションだだ下がり。
明日はまた、落ちている10円玉見つけるために、俯いて歩こうと思う。
ギザ10見つけたら、テンション上がるし。