金沢 なるべく吸える喫茶店

吸えたら良いけれど吸えない時もあるから飲めたら満足です

もう無い喫茶店「未完成」

しょっちゅう目の前を通っていれば「あ、突然無くなってるやん」と気付くのだが、たまにしか目にしていないと、やっぱり「あ、突然無くなってるやん」と気付く。
「無くなった」と気付くということは、「有った」状態を認識している。認識するという状態を経過していなければ、はなからそこには何も存在していなかったことになる。

 

こちらの喫茶店への認識はあった。
認識どころか、それは強い存在感で。いかにも「吸える喫茶店」たる風情がビュウビュウ吹きまくっていた。「入りてぇなぁ」よしんば「入って吸いてぇなぁ」といつも思ってはいたのだが、灯りは点っているのに無人だったり、営業していそうなのに扉が施錠されていたり。で、いつもフラれてきた。

それが先日フラフラと店舗前を通ると、「やってそう」な雰囲気が漂っていたのだ。

 

茶店「未完成」は、北陸鉄道石川線の終始発駅 野町駅のロータリーそばにある。
営業中の札こそ見当たらないが、扉に鍵はかかっておらず、わずかな隙間がある。
「これ、やってんな」と万引き犯を見つけた木の実ナナが瞬時に乗り移った私は、扉を開けます。

「やってますか?」

と、声をかけるがカウンターに人影はない。
また、2階に続く階段奥目がけて

「やってますか?」

しばし返事を待つが、応答はない。誰もいないのか。
誰もいないのだろう。

「やってそう」な内部画像

数分待って、何度か

「こんちはー」
「すみませーん」
「やってる?」
「誰かいる?」
「鍵開いてますよ」
「あんた、今、カバンに黒酢入れたよね」
「やってるとしか言えないですよね?」

といった数パターンの問いかけを繰り返してみたが、なしのつぶて。

しかし、営業はしていないとしても、どなたかがいらっしゃる可能性が高いので、しばらく時間を置いて戻ってくることにする。
「喫茶 未完成」の現状を確認する千載一遇のチャンスである。

 

「未完成」のそばには、泉用水という農業用水が流れている。

 

私が小学校高学年から中学生に至る数年間、毎週日曜になると父親に連れられて、繁華街の片町や武蔵ヶ辻、金沢駅の映画館に行き、新作映画を鑑賞するのが常であった。

当時の住処は、今の野々市市に近い住宅地で、そこから中心街まで2時間かけて歩いて行っていた。父親に問えば、肥満児であった私の痩身を狙っていたと言うが、夫婦仲の悪かった母親と休日一日顔を合わせるのを嫌ったというのが本音だろう。
そして、肥満児だった私は現在超肥満男性に成り果てているのだから、何の意味のなかったホリデーウォーキングであったわけだ。

 

父親は、いつも裏道を好んで歩いた。
たいてい、野町の泉用水が走る狭い川筋を歩いた。
今日も時間つぶしに歩いてみる。

この川筋の自動車一台がようやく通れる隘路は、40年ほど前の私には怖い道であった。
「石坂で働く」
というと当時は、夜職を意味した。
「石坂」は、当地の方言読みでは「いっさか」と呼ばれ、このあたり一帯を指した。石坂浩二のことを金沢の人は「いっさかこうじ」と呼び、大橋巨泉は「へいちゃん」と呼ぶのである。もうケチャックとは呼ばせない。


1990年中期あたりまでは、スナックや小料理屋が立ち並び、明るいうちから客引きのお姐さんが立っていた。
今は面影も薄く、いくらか看板のみが残っている。

屋台風のお店跡

 

小学生当時の私が「怖かった」のは、私の先を歩く父親に、シュミーズ一枚の女性が、

「社長さん!遊んでって!」

を声をかけるからだった。彼女の姿は後年名画座で観た『(秘)色情めす市場』の芹明香と重なる。彼女は、はかなく壊れそうに見えた、その姿や声に私は恐怖を感じた。

「石坂で働く」とは、春をひさぐことも意味した。
この一帯は遊郭、赤線の名残を昭和末期まで感じさせた。用水路の端っこには今も反社会勢力の事務所がある。

 

「あそこらは、ずっと影見世でやっとる」

そう聞いて、高校生の頃に友人たちと再訪したが、さすがにお姐さんたちはもういなかった。


遊郭の痕跡を探すと、その建築を残した区域があり、今はwow!金沢ステイというゲストハウスとして利用されているようだ。


いわゆるカフェー建築の痕跡。
「遊廓跡を歩く」みたいな懐古趣味にうっすらと貼り付いているミソジニーやマチズモが、はっきり顕在化してきて、昨年の「大吉原展」への批判で爆発したように思う。
私が、小学生の頃、石坂で出会った女たちに感じた恐怖も、振り返ればその根っこに差別意識があったと今は思う。

 

そして、いい感じで「カフェー」→「喫茶店」みたいな流れが生まれております。
ここは喫茶店のブログです。本分忘れんな。
この流れに竿刺さぬように、「未完成」への道を戻ります。

 


赤線奇譚

 

小一時間の散歩を終えて、「喫茶 未完成」に立ち戻る。

おっ、カウンターに座っている女性が見える。
扉を開けて声をかける。

「すみません!やってますか?」

背を向けて座っていた女性がこちらに顔を向け、矢継ぎ早に、

「やってませんよ!あのね、やってるように見える?見えないでしょ!」

「ああ、そうですか。いつ頃からやってな…」

「とにかく、オーナーさんが施設に入られるんで、閉じました」

「そうなんですか、こちら2階も昔は…」

「閉店してますから、もういいですか!」

「承知しました。すみません…」

 

けんもほろろ、とはこのことか。
40年前に石坂のシュミーズお姐に覚えた恐怖とはまた一味違う。単純にすっごい怒られたという恐怖。すみません。

 

ネット検索をかけると、昨年までは営業していた形跡があるので、タッチの差で入店を逃してしまったことになる。

 

私はここに古い喫茶店があるとして対象を把握し認識していたが、ついに「それはもう無い」という成果を獲得し、知識とした。認識から知識に至る過程を今日は経験した。

残念だが、「喫茶 未完成」はもう無い。