喫茶店を巡っていると、喫茶店の残骸というか遺構というか空き店舗というか、もぬけの殻にでくわすことがあり、そこには一抹のもの悲しさと共に、ビジネスチャンスが転がっている訳であるが。
古民家再生とか、新しいまちづくりとか、もちろんたやすい事ではないというのもわかっている訳である。ので、ビジネスチャンスとかいうのは撤回したい。二行前に書いたんだから、書き直せば良い気もするが、ビジネスチャンスとかいう単語を使ってみたかったので、もう3回もビジネスチャンスって書けて本望。4回になった。最高。
先日、目当ての喫茶店に向かうと、店休日、休業、休業に出くわした。



お休みの日にあたってしまうのは、こちらの不手際であるので、無問題。
しかし、休業の貼り紙にぶち当たってしまうと、しばし呆然。そこはかとなく悲しみが襲ってくる。これまで訪れた喫茶店の多くが、老境に差しかかった店主によって営まれており、加えてワンオペであることがほとんど。
「時間の問題」と言うのは、憚られるが、我々は押し並べて時の旅人である。
旅人がどれだけ旅を続けようと希求しても、時は我々を容赦なく追い越していく。
歳月不待。
あと、ワンオペって単語も使ってみたかったんですよね。満足。
物事はいつ始めても遅すぎることはない。
というのは綺麗事でしかない。もう少し早く喫茶店ブログを始めておかねばならなかった。私がうっすらと、そのことを意識したのは、数年前に『禁煙室』という老舗が閉店した時であった。
いつも見かけてはいたが、なんとなく足を踏み入れなかった場所が、いつしか消えていってしまう。踏み入れなかったのだから、思い出も思い入れもない。思い出を作ろうとしなかったからである。思い入れを持てたのかも知れないのに。
幸いというか、『禁煙室』はその調度や食器を譲り受けた方が大阪の地で開業されている。思い出を語り継ぐ余地は残された。
喫茶店の情報を探すのに、ネットにかかりきりになるのは癪なので、図書館で古いガイドブックなどを借りているのだが、もう無い店も多い。
ごっそり解体されて、跡形もない店舗もあれば、まだウワモノが残っているところもある。ガワが残っているほどに、もの悲しさは増す。
今回、訪れたもう無い喫茶店は、「芝生」
先のガイドブックには、
とある。
場所は、柿木畠の中心の角地にあり、いかにも蔦が絡まっていそうな外観に、味な看板も良すぎる。これは入ってみたかった。入るべきだった。何してたんだ、お前。
『芝生』のことを、近隣の喫茶店『ヒッコリー』のマスターに聞くことができた。
ソースカツ丼が名物で、洋食屋としての顔もあったお店だったそうで、往時は四高の学生たちの溜まり場で、近隣の勤め人たちにも人気があったという。
先代が亡くなったあとは、息子さんが継がれたが、彼も早く亡くなり、先代の奥様ひとりでは続けていけなかったのではないか、とのことだった。
建物が残されている理由はわからない。
店前には、ユンボが用意されているので、もしや解体が近いのだろうか。




失礼ではあるが、店の窓ガラスから店内を写させてもらった。
がらんどうのスペースはやけに広く感じる。
カウンターがあり、イスとテーブルがあり、なにより客が座り、店主が動き回る『芝生』はどんな喫茶店だったのだろうか。
思い出のない私でさえ、強くノスタルジーめいた感傷を覚える。
取り壊しになるようならば、ローカルニュースで取り上げられそうだが、気付けば更地という事態も起こり得る。
思い出がある方は、今のうちに建物と面影だけでも現地で味わっておかれることをお勧めします。
私も『芝生』行ってみたかった。
無くなる前に、これからもたくさん喫茶店巡ります。
もう無い喫茶店『芝生』については、以下のページに詳細があります。
拙ブログより、豊富な内容で、何より文章に品がある。おます。
喫茶店関連の話なら、こっちを読んだ方が格段に有益。
優れた内容のブログを見てしまって敗北感でいっぱいです。
これを読んでしまった貴方も被害者。
こんなつまらないブログを読んでしまった時間もまた帰って来ないのです。
残念でした。