3月は、別れの季節。
4月は、出会の季節。
となっておるわけです。
私の住まう近隣地域においても、電器店や化粧品販売店などが、閉店のご挨拶を掲げており。
経営者からすれば積年に渡る熟考の末に導き出されたひとつの終焉、ということになろうとは思うが、受け取る側からすれば、青天の霹靂感があり、足繁く通ったわけでもないのに、紙っぺら一枚で示される「閉店」という言葉の重みに軽く打ちのめされる具合。
私がよく覚えているのは、テレビ番組『8時だョ!全員集合』の終了が告知されてからの数週間のこと。それまで、「時代遅れ」「マンネリ」との誹りを投げかけていた視聴者が、反転「悲しい」「子どもの夢」「偉大なるマンネリ」と称賛と惜別を訴えだした。
思うに、こうした相反する感慨を述べる人々は同一者だろう。
当たり前に目の前に置かれていたおかずが一品無くなると、突然不満と郷愁を持ち出す。「ひじきなんていらねーけど、無ければ無いで、寂しいよね」みたいな。
じゃあ、絶賛営業中の折に、少しでも売上に貢献せーよ。という話である。
勝手なものである。けだし、人間は手前勝手である。
金沢一の呑み屋街擁する片町地区には、古くからの喫茶店多くがあった。
あった、ということはもうほとんど無いということであり、その数少ない生き残りであった喫茶店がまたひとつ閉店した。
このお店には、ブログを始める前から何度か訪れていた。
この期に改めて足を運んだのが、2025年3月17日。
「都合により 店を休業します 悪しからずご了承下さい キークローネ」
「茶館 キークローネ」は、木倉町の外れにある。
何度か訪れた印象では、そう高齢ではなくお見かけするマスターがお一人で営んでいらしたと記憶する。
コロナ禍には、金沢を離れていたのでこの休業のお知らせが、それと関係するのか、また最近貼られたものかは分からなかった。
「陽春の候 平素より当店をご利用いただきありがとうございます 誠に勝手ながら閉店することとなりました 長年にわたる格別のご愛顧を心から感謝申し上げます 茶館 キークローネ 店主」
2025年4月7日の店先である。
店内を覗かせてもらうと、椅子や壁にかけられた絵画などはそのままに見えるが、食器や紙モノは片付けられているように見えた。
3月に見た貼り紙がいかにも急ごしらえで書かれた告知的意味合いの強い文面であったのに対して、読み比べれば、閉店のお知らせには、やはり店主の想いが込められている。
片町周辺には、呑み屋はあっても昼から素面でスッと入れる喫茶店が少なくなっており、「茶館 キークローネ」は希少な存在であったと思う。
テレビ番組『笑ってる場合ですよ!』の最終回で、ビートたけしは、「お前らみたいな、なんでも笑う客は大嫌いだ!」と公開生放送で言ってのけたそうだ。
そんなに寂しがるなら、もっとコーヒーを飲みに行けばよかった、のだ。