円光寺という町があった。
否、もちろんまだある。
私が家族と共に共同炊事場、風呂無し、木造アパートで幼少期を過ごした町である。
中島らもに
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
という小説がある。
誰にでも踏んづけられた思い出が詰まった町や、血気盛んに踏んづけて蹂躙しまくったような町がひとつやふたつあるだろう。
円光寺に踏まれたのか、踏んだのか、は判然としないが、大切な時間を過ごした町ではある。
当時の円光寺には、北陸一の売上を誇ったというタバコ店があり、食に関しておしなべての商店が並び、バスロータリーから垂直に伸びる円光寺商店街には書店、化粧品店、食堂、パン屋、酒屋、理髪店などが揃っていた。
私は化粧品店で買い物をする母親が出てくるのを待って、書店の前に置かれた20円ガチャポンをせがんで座りこみ運動を繰り広げたものだ。
その前川書店は2021年まで営業を続けたようだ。
すっかり、行かなくなっていたなぁ。今さら言っても…。
円光寺をアナグラムすれば高円寺となる。
私は、東京では荻窪に長く住んだ。
中央線文化圏に住むというのは金沢で高校生活を過ごした身からすれば、憧れの的であった。そのなかでも荻窪は、控えめな輝きしかなく、やはり高円寺のもつ猥雑な煌めきは別格。上京した私は高円寺や阿佐ヶ谷に「踏まれた」のだ。
ここ数年再開発が問題視される高円寺。
一方、円光寺には再開発の手が及ぶ余地もなく寂しさの増した地区となっている。
ちなみに高円寺再開発のメインは北口に大通りを通す計画。それに伴って規制が緩和され高層ビルが道路沿いに立ち並ぶ。
— 松本哉 (@tsukiji14) 2025年3月25日
今回の高架下はJR主導なので、都の計画とは一応別だけど、結果的にいろんなものが連動して動いてくるのは必至。
縦横の計画が完了したら、もはや高円寺は高円寺ではなくなってしまう https://t.co/tApCxdDhLr
円光寺商店街のとば口にあったのが、「喫茶 アンサンブル」
残念ながらコチラの喫茶店には入ったことがない。
周囲はキレイに清掃されており、壁に打ち付けられた店名が刻まれたプレート、緑白のオーニングも目に鮮やかで営業を終えているようには見えない。
googleストリートビュー2017年8月分
では、店頭照明が灯っており、まだ営業されていたことが窺える。
そして、今はその灯りもない。
閉じられた木窓の格子の隙間から店内を覗き見させていただくと、消化器や掃除道具のたぐいが見えた。
現在は、物置的な使われ方がなされているのかも知れない。
空きテナントとシャッターでくすんだ色味が目に付く円光寺商店街だが、
は、元気に営業中!
みんな、ちょっと伸びたら、すぐにタカギさんに刈ってもらおう。
今年の2月までは、「日々響」という民芸品や雑貨を扱うお店があったのだが、移転されてしまったようだ。


「喫茶 アンサンブル」
はいつからあったのか。
私が円光寺に住んでいた時分からあったのだろうか?
なにしろ、「喫茶店でお茶をする」という感覚を持ったのが40を過ぎたあたりからで、それまでは缶ジュースを路傍ですするような生活感覚で生きてきたもんで、「アンサンブル」の存在すら確認できていなかった。
残念。
ところで、
町
と
街
の違いはなんだろうか?
明確な定義は知らないが、中島らもも「町」を採用している。
「街」って書くと、こまっしゃくれた感じがするだろうか。
幼少期をのほほんと過ごした円光寺は、私にとって「町」
必死に何かに抗っていた時期に通り過ぎた高円寺は、私にとって「街」
という感じがする。
円光寺という町がノスタルジーでしか語られないのは寂しいことだ。
また、賑わいを取り戻してもらえたら、と思う。
そん時には、もう無い喫茶店「喫茶 アンサンブル」も居抜きで使えるし。ね。